『愛のコリーダ』上映後、客席からは自然と拍手がわき起こった。この日、観客と一緒に映画を鑑賞していたという黒沢監督は「藤さんが演じる吉蔵という役は、本当にシンプルに見えるが、その裏にはある種の虚無が広がっていって。それがやるせない感じ。まさに藤竜也さんのハマり役」とほれぼれした様子。そして大島渚監督が1961年から1973年にかけて創作の拠点としていた独立プロ「創造社」を解散させてから一歩を踏み出した時期に、フランスのアルゴス・フィルムと大島渚プロダクションの合作映画として製作された作品が『愛のコリーダ』であったことを踏まえ、「まさに当時の大スターであった藤竜也を迎えた映画ということで、日本映画の新しい方向性を示す作品であり、新しい大島渚のスタートとなった映画だったと思う」と指摘した。

そんな大島監督の印象を藤は「世間の大島さんのイメージは、テレビの討論番組に出て、バカヤローと怒声を張り上げる論客というイメージがあるかもしれないですが、実際は松竹独特の雰囲気がある方で。いつも現場では洗いたてのきれいなシャツと、品のいいカジュアルな背広を着ていて。昼と夜でいつもワイシャツを替えているんじゃないかというくらいに身ぎれいな装い。若輩者の自分にも敬語を使ってくれるような方で、非常にジェントルマンでした」と振り返る。
藤によると、『愛のコリーダ』の撮影は、朝の8時頃にスタジオに入って身支度をしてセットに入り、午前中はカメラや照明などのテクニカルな部分でのテスト。午後に入ってから本番で撮影というスタイルだったという。「午前中は芝居というよりも、カメラとかテクニカルな部分でのトレーニングという感じでした。俳優はあまり衣服をつけないシーンが多かったので、その時は服を着て芝居をしていて。午後に入ってから本番。昔はフィルムですから、(カメラに装着する)マガジンをワンロールずっと回し続けて。そのマガジンにあるフィルムをまわし終わったら、はいお疲れさん。という感じでした」。

京都大映スタジオに建てられたセットは、大島組には欠かせない美術監督の戸田重昌の手によるもの。「この方は非常に優秀な方で。足の裏が汚れていてはそこに立ちづらいような、本当に威厳のあるセットでしたね」と振り返った藤。また撮影が終わってからスタッフや俳優たちと一緒に飲みに行くということは一切なかったとのことで、「役として12キロくらい体重を落とした方がいいんじゃないかと思って。最終的には1日に梅干しとミカン一個くらいで。風が吹くと揺れるような感じでした」と振り返る。