また劇場公開に向けて、以下の通り総勢10名の⽅々からの応援コメントが到着!

当たり前のようにそこにある光は実は毎秒30万kmも進んでいて、間抜けな私たちはいつだって後から気がついてしまう。でもその遅さだけが刻める感触もあるのだと、この映画は信じているようにみえた。
主⼈公のひとり・モリのどこか傲慢で不器⽤な態度にイラつきながらも、モリの作った歌を聴いたらきっと⼼揺らいでしまうから悔しい。歪な⼼にビールを流し込みながら、少しずつ良くなりたいと願う私や誰かの春のざわめきが映し出されていた。

― 井⼾沼紀美(肌蹴る光線)

些細な記憶の永続性。親密な⼈間関係のすきまに落ちた、もう戻ってこないあの⽇の私たち。映画に登場する歩きながらのおしゃべりに⾝を預けることが好きな⾃分は、本作の俳優たちの声に惹き込まれた。過ごした⽉⽇を物語る声、離れた時間を纏う話しぶり。同じ家に暮らす近い間柄だからこそ⽣まれる少しの緊張感。⽇常の⼩さなやりとりをつぶさに描くと、こんなにも油断できないのかと不意を打たれた。鑑賞後にしか共有できない秘密について早く話し合いたい。

― 奥浜レイラ(映画・⾳楽パーソナリティ)

「猫を放つ」というタイトルの映画を⾒る。猫は出てこない。出てくるのは、記憶の写像のようなものたち。写真、旧い知りあい、シルエットの映った窓ガラス、プラネタリウムの映写機、ひとつのなにげない単語。どの写像もささやかで、けれど思い通りにならなくて、どこか悲しみを映し取っている。時間がどうしようもなく過ぎていくことの悲しみ、だれかと他⼈どうしでいることの悲しみ。
猫たちのことを考える。「捨てられた」でも「逃がされた」でもなく「放たれた」彼らは、どこへ⾏くのだろう。
ひとから離れてやっと⾃由になるんだろうか。
そして、そう思えばつくづく、わたしたちに棲みついた記憶とは、なんと不⽇由なものだろう。

― 向坂くじら(詩⼈・⼩説家)

私の記憶は私のものだ。
けれど、⼈との再会が、季節が、⾹りが、
忘れていた記憶を解き放つこともある。
かつてのヒリヒリした痛みも
懐かしく出会い直せば、
今を⽣き抜くための恩寵になる。
そのことを、この映画は教えてくれる。

― 佐々⽊ののか(⽂筆家)

本作は、「記憶」と「記録」を頼りに壊れかけた関係性を再構築していく「ドキュメント(記録)」である。お互いのことを全部わかりあうことは到底できるものではない。お互い⾔葉が⾜りなくても、逆にいくらお互いが⾔葉を尽くしても、芯を⾷わないことのほうが多い。それでも、共にいたいと思う気持ちがあるのならば、どこかですれ違った思いやりを調律する必要が⽣じる。あてのない散歩で重要なのは、話す内容よりも今隣で歩くあなたと私の⼼の調律なのかもしれない。

― 関根⿇⾥恵(表象⽂化研究者)

1 2

3

4 5

RELATED

PAGE TOP