現場では、スタッフはヘルメットを被り、セットを使わずに全て実際の被災者の家などを利⽤して撮影が⾏われた。⿅賀にとっては「⼈⽣で⼀番(セリフが)少ない映画だった」とのことだが「実際に全壊した家の前を通ったし、(信三が)住んでいる家も半壊していたのですが、そこに住んでいた⽅々がいらっしゃった――そういうところで芝居をしますと、変に細かい芝居をするよりも、その気持ちさえ持っていれば⼤丈夫だろうなと、余計な芝居をしないように⼼がけてやりました」と充実した表情を⾒せる。

劇中で信三がボランティアの⻘年との出会いによって変わっていくというストーリーにちなんで「⼈⽣を変えた出会い」を登壇陣に尋ねると、⿅賀は「こういう仕事をしていると常に新しい出会いがありますが、『⼈⽣を変えた』と⾔われると、65年くらい前、⾦沢で少年合唱団に⼊っていまして、そこに⾮常に良い先⽣がいました。⼦どもたちの情操を⾒てくださる先⽣でした。市内の⼩学校から3⼈くらいずつ集まっていたので、学校以外の友達もできたり、良い体験させてもらいました。その出会いは、今⽇の僕の役者⼈⽣にも繋がっていると思います」と少年時代の恩師の存在をあげる。

常盤は⼤林宣彦監督との出会いに⾔及。常盤は⼤林監督の映画『野のなななのか』、『花筐/HANAGATAMI』、『海辺の映画館 キネマの⽟⼿箱』に出演したが「映画⼈⽣というものがすごく楽しくなったし、映画の可能性をすごく広げてくださった監督です。映画とは記憶装置であると教えてくださった監督なんですが、それはこの映画のように、あのときの能登でしか撮れない画や⼼を映画という記憶装置の中に収められるということでもあります。また、劇場との出会いもそうですし、映画というものを通じて、いろんな⼈にバトンを渡せる場所だという、その可能性を知れたのも⼤林の⾔葉が⼤きかったと思います」と明かした。

そして、宮本監督は「僕は銀座⽣まれで、とにかくおふくろが映画と舞台が好きすぎて、⽇⽐⾕のロードショーに何回⾏ったか…。⽴ち⾒でギュウギュウで⼈を押し分けて観ていました。ここ(=シネスイッチ銀座)が銀座⽂化劇場だった頃から来ているので 『今、この劇場で話してる!』って。おふくろは絶対に天国で『良かったねぇ』と⾔ってると思います(笑)」と感慨深げに劇場、エンタテインメントとの出会いの⼤きさについて語ってくれた。

舞台挨拶の最後に、常盤は「私がこの映画を初めて観た時、“能登魂”を描いた映画だなと思いました。能登の⼈たちの強さをしっかりと感じてくださって、宮本監督が映画にしてくださったと思います。ぜひ多くの⽅に観ていただきたいです」と呼びかける。

宮本監督は「この映画を観て、ぜひ能登に遊びに⾏ってほしいという気持ちと、災害は⾝近な問題になる可能性もあるので、突然、家がなくなる、未来がなくなる――その時、どう⽣きていくか︖ また、歳を重ねた⼈たちがどれほど魅⼒的で意味があるかということも⼊れ込みたい。能登のおじいちゃん、おばあちゃんたちの素敵さと温かさを感じていただきたいし、そうやって⽇本から発信して、本来の⽇本の素晴らしさをもう1回、思い出してほしいと思っています」と語った。

⿅賀は最後に「能登の珠洲というところは 道が1 本しかないもので、復興もなかなか上⼿くいかないんです。この映画を通じて、そういうところに少しでも復興の⼿が伸びるようにしていけたらと思います。久しぶりに⼼に残る良い映画に参加させていただきました。⾮常に嬉しく思っています。どうかみなさん、他の⽅々に宣伝なさってください」と呼びかけ、会場は温かい拍⼿に包まれた。

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