本作は、吉井和哉のバンド⼈⽣を紐解く上で重要な⼈物との交流も映し出す。URGHPOLICE(アーグポリス)のボーカルで吉井をロックの世界に導いた⼈物・ERO。当時10代だった吉井をバンドに誘い、ベーシストとして加⼊させ、そのことがきっかけで吉井のバンド⼈⽣が始まった。しかし、⾳楽性の違いなどから、いつしかバンドは⾃然消滅。その後吉井は、URGHPOLICEを通じて出会った仲間達とTHE YELLOW MONKEYを結成。ERO は静岡に残り、地元で働きながらカントリーミュージックに⽬覚め、それぞれ⾳楽活動を続けていたのだった。本作で描かれているのは、ロックに魅せられた男たちの⽣き様。そしてその⽣き様から、限りある時間の中で、今を⽣きる⼈々にとって刺さるテーマが散りばめられている。
今回解禁となった新カットは、エリザベス宮地監督が撮影した2点。EROの部屋で吉井とEROが語り合う姿と、⾃⾝の原点である静岡の海の前での素の吉井の姿が収められている。

<吉井和哉 コメント>
2022年の1⽉に⻑年の仕事のパートナーで事務所の社⻑でもある⻘⽊⽒から、
「特にゴールを決めずに密着カメラを回してみませんか?」との提案があった。
前年のイエローモンキーの活動にも⾜を引っ張られた「新型コロナウィルス」も終息しかけたこの時期、
次のソロアルバムのテーマも朧げであったため、その提案されたドキュメンタリーに
BGM的な曲を付けたサントラ盤のようなアルバムができれば良いのではないかと思い、
⻘⽊⽒が以前から交流のあった監督兼カメラマンの宮地くんを紹介していただいた。
その当時の吉井和哉のドキュメンタリーなんて誰も興味がないだろうと思いながらも、
⾃分をこの世界に導いてくれた⼈たちのところに宮地君を連れて⾏き、カメラは回り始めた。
その中に、⾃分をこの世界に導いてくれた、兄のような存在である、“ERO“こと⾼林英彦⽒がいた。
彼は2021年に脳梗塞に襲われ、⽣活が不⾃由になってしまったばかりだった。
60歳を過ぎて独り⾝で、⽣活することも困難であったため、ドキュメンタリーの軸になってもらい、少しでも⽣活の⾜しになればと思い、出演者として撮影の許可をもらった。⾃分の師のような存在でもあり、良くも悪くもカリスマ性のあるキャラクターだったので、彼を通して吉井和哉のことが少しでも炙り出されれば良いと思った。
その後のストーリーは、まるで神様から与えられたような⼈間同⼠の出会いや繋がりと「ROCK」という危険物の取り扱い⽅について学びながら、⼈⽣に訪れる「使命」というギフトを受け取る瞬間を捉えていただく作品になった。
そして、このドキュメンタリーを撮影し始める少し前に完成していた「みらいのうた」がこの映画のタイトルになり、主題歌になりました。
この作品を世に残すことができたこと、そして全ての出会いに感謝を。

<監督:エリザベス宮地 コメント>
「みらいのうた」の撮影が始まったのは2022年4⽉。
吉井さんと⼆⼈で、吉井さんの故郷・静岡を訪ねる⼀泊⼆⽇の旅からスタートしました。
幼少期に釣りをしていた防波堤や、就職していた喫茶店の跡地、地元の同級⽣のご⾃宅やお墓を巡り、最後に訪れたのがEROさんの家でした。
30年以上暮らしているその家は、カントリー調の家具や装飾で統⼀されとてもおしゃれでありながら、PCもなくWi-Fiも繋がっていないこともあってか、どこか時が⽌まったような雰囲気が漂っていました。
約40年前、EROさんがボーカルを務める⾃⾝のバンドにベーシストとして吉井さんを誘ったことから、吉井さんのバンドマンとしての⼈⽣は始まりました。
しかし撮影を始めた当時、吉井さんは声帯ポリープでライブ活動ができず、EROさんも脳梗塞の後遺症で半⾝不随となり、ギターを抱えることさえできない状態でした。
「⼆⼈が再びステージに⽴つまでを並⾏して記録しよう」と思ったのは、はじめてEROさんの家を訪ねた帰り道です。
しかし、撮影を始めて半年後、吉井さんに喉頭癌が⾒つかりました。ステージまでの距離は、想像よりも遥かに遠いものでした。
「みらいのうた」は、⼆⼈がそれぞれのステージに再び⽴つまでの3年間を記録したドキュメンタリー映画です。
そして今回、本作が12⽉の全国公開に先駆けて、東京国際映画祭への正式出品が決定しました。
歴史ある映画祭に選んでいただけたことを、⼤変光栄に思います。
⽇本のロックンローラー⼆⼈の⼈⽣と⾳楽、そして彼らの⾔葉が、国内外の観客にどのように届くのか、⼼から楽しみにしています。