撮影中の印象的なエピソードについては、阪本監督は「富士山での撮影は天候に左右され、何度もトライできる場所ではありませんでした。そして『これは4日目の奇跡を狙うしかないね』と朝4時出発くらいに山へ登り始め、そこで(多部純子・正明の)ご夫婦の素晴らしい場面が撮れたことが印象に残っています。『これで映画が上手くいく』という安堵感を得られました」、天海は「吉永さんと一緒に山を登ったシーンがありますが、そのときに歩いた丘が『吉永の丘』というそうで、小百合さんにちなんで付けられたようなんです。そこに小百合さんと一緒にいられることがとても奇跡のようで嬉しくて。『なんて素敵なことなんだ』と一歩一歩、踏み締めて歩きました」、吉永も「あの丘の景色のすばらしさと空気のおいしさ、そして天海さんと一緒にテントに入って歌を歌ったり、本当に友だちという感じで演じられたりしたのは、ずっとずっと思い出に残ると思います。それと私が歌を歌うシーンがあり、天海さんが先に撮影を終えられたのですが、ずっとステージのわきで私が歌っているところを見守ってくださったんです。感謝、感謝です」と振り返った。

また吉永は、自身のラジオ番組に田部井さんが出演したときのことも回想。「2012年、私がやっておりますラジオ番組にご出演いただきました。そのときは東北の高校生たちを富士山に連れていくためのプロジェクトに対する想いをアピールされました。とにかく明るくて、なんでも話してくださって、お耳にはピアスをつけていらっしゃって。大ファンになりました。私が『登山家』と言ったら、田部井さんは『愛好者です』とおっしゃったんです。そういうところがとても謙虚でいらっしゃり、『こういう方がエベレストに登ったんだな』という思いがいたしました。私より3センチくらい背が低くていらっしゃって、そういう方が大変な苦労をなさりながらも世界中の山を踏破しているということで、大ファンになりました」と語った。また、田部井さんをモデルにした純子を演じるにあたっては、「田部井さんの『一歩一歩、前へ』という心と、大変なご病気になっても『病人にはならない』と前へ進んでいらっしゃるところをしっかり出したいと思いました」と演じる上で心掛けたという。