過去にフィルムで花⽕を撮ったことがあるという井筒監督は「デジタルだとペタッと⾒えてしまうところを、フィルムだと奥⾏きが出て、ちゃんと“球”に⾒える。花⽕って⽣き物なんですよね」と振り返る。それに対し、「僕も花⽕をいかに“⽣きたもの”にするかを追求したかった。デジタルでもちゃんと奥⾏きを出せるようにこだわりました」と語る⼩島監督は、カラリストと共に2ヶ⽉間スタジオに⽸詰となり、花⽕の持つ本来の美しさや⽴体感を表現するために特殊なアプローチした⽇々を述懐。「35mmフィルムで撮影された花⽕の写真を参考にし、光の境い⽬や境界が“⽣き物みたいにじわじわと動いている”感覚を表現しました。そして、デジタル撮影やスマートフォンで撮った花⽕の映像では失われがちな、光の細かい振動感をどうやってスクリーンに出せるかも研究しました」。

続けて「花⽕は美しいもの。でも美しいと思うだけでなく、“なぜ美しいのか?”に踏み込みたかった」と明かす⼩島監督。「そもそも花⽕の起源は、江⼾時代、⼤砲を横に向けて撃ち、殺⼈のために⽕薬を使うのではなく、戰がなくなったことで⽕薬の使い所として上に打ち上げて遊んでいたところから始まったといいます。⼈々がそうやって遊んでいた背景には、戦がなく“平和があったから”こそですよね。この映画でも、 “戦争がないから花⽕があげられるのだ”ということを平和の象徴として強調したいと思っていました」と本作に込めた思いを語った。さらに「現代は価値観が多様化しすぎていて、和解し得ない時代に突⼊していると思う。でも花⽕は、⼈種やイデオロギー、左翼や右翼にかかわらず、誰もがみんな、空を⾒上げて感動できるもの。そこで僕たちは“もともと平和について話をしていたはずだよね”という原点に⽴ち返れる。議論の場や対話のきっかけを作りたいという願いを込めました」と語気を強めた。
奇しくも新政権が発⾜したこの⽇。井筒監督は「⽇本の歴史を振り返っても、80年間、誰も反省していないんだよ、この国は」と警鐘を鳴らす。⾃衛隊のPKO活動やそれに伴うPTSDの問題、平和への願いや憲法改正への問題提起などが込められた本作について「国家権⼒にここまで切り込んだ映画はない。国そのものに訴えかける映画だと思いますよ」と締めくくり、最後に「今の国会議員たちにも本作を観せて、⾃衛隊についてどう考えてんだ?と聞きたいね」という鋭い問いを突きつけた。
※マーティン・スコセッシ監督が、ロバート・デ・ニーロを主演に迎え、ベトナム戦争から帰還した孤独なタクシードライバーの姿を通して⼤都会ニューヨークの闇をあぶり出したサスペンス。