<坂本憲翔監督 コメント>

2021年3月、名古屋入管での医療ミスにより、被収容者のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。それから4年以上の月日が経ち、この事件について語られることも少なくなった。その沈黙の隙間をうめるように、街には排外主義的なことばが飛びかっている。遺族、支援者、被収容者、難民申請者の方々の闘いは、今この瞬間も続いているのに。
この事件と入管制度の問題を決して風化させてはならない、これは命の問題だから。たくさんの人にこの映画を観てほしい。そしてこの国の「今」について一緒に考えてみたい。心からそう願っています。

<中島侑香(山本文子役) コメント>

私が演じた文子という役は、どこか自分と似ていました。母の死で止まっていた時間が、夢という対照的な存在によって動き出す。そんな文子が作品の中でどう生き抜いていくのかを毎日考え続け、監督と話しながら丁寧に役作りをしていきました。カメラが回る瞬間、それまで準備していた「文子」を一度脱ぎ、現場の空気に身を委ねたとき、本当に文子として生きられたような気がしました。私にとって思い入れ深いこの作品の旅立ちを、心から嬉しく思います。

<LEIYA(モハメド夢役) コメント>

映画『イマジナリーライン』で夢という役を通して、「居場所とは何か」「支え合うとはどういうことか」を深く考えました。日本とガーナにルーツをもつ私にとって、描かれる現実は決して他人事ではありません。制度や言葉の壁によって、当たり前の日常を得られない人がいる。その声に耳を澄ませ、伝えていくことの尊さを身に沁みて感じることができました。
この作品を通じて、目に見えないさまざまな「線引き」について一緒に考えていただけたら嬉しいです。

<安田菜津紀さん(Dialogue for People 副代表/フォトジャーナリスト) コメント>

「日本人ファースト」というスローガンが躍る。けれどもこの映画を観て、思う。「この国はずっとそうだったじゃないか」と。入管のまなざしはどこまでも「管理」「監視」であり、収容のあり方そのものが「外国人は人間扱いしなくていい」を前提としている。内部で働く人間にまで「管理」「監視」の「部品」であることを求める。国の態度は市井の意識にもじわじわと沁み込む。主人公の文子さえ、「不法滞在者」という巨大な主語に惑わされる。今もそうだ。ありもしない「外国人問題」がわざわざ作り出され、ないはずの線が引かれていく。「ここから先は仲間じゃない、仲間じゃない存在には何があっても構わない」と。でも、この映画を観た人たちは、出会ったはずだ。夢という一人の、血の通った人間に。恐怖や不安を燃料にする扇動的な言葉に出くわしたとき、夢のことを思い出してほしい。「彼女たち」はすでに、私たちの隣にいるのだから。

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