内⽥さんから佐渡プロデューサーに、「⽇記というパーソナルなものを⼿渡された時、どのような想いになられたのですか︖」という質問が投げかけられると、「こんなに筆⾖だったんだってびっくりしました。書いていることが普段のご本⼈とブレないというか。⾷べ物、映画、⾳楽の話が⽇記でも出てくるんです。僕らに対しても普段からありのままの姿を⾒せてくださっていたんだなと思いました」と答え、驚きと発⾒があったといいます。
内⽥さんも映画に登場した坂本さんの⽇記の⾔葉を振り返り、「坂本さんは感覚を鏡のように映し出して、ご⾃⾝もそれを⾒つめて反芻しながら、感覚そのものを⾯⽩がっている。⽣粋の表現者というか、⾃分⾃⾝をも俯瞰して⾒ながら表現をしていることに嘘がないというか、本当にすごいなと」と⾃⾝の置かれた状況に向き合う姿に感銘を受けた様⼦を窺わせました。
続けて「私の⺟は幼い頃から知⼈や親戚が亡くなると真っ先に私を連れていって、亡くなった⽅の顔を⾒せていたんです。⼦供ながらに怖かったのを覚えています。こうして⼈は死ぬんだよってことを⺟は伝えようとしていたんです。⺟⾃⾝も病を患って、⾃分の家で、私たちや孫にも⾃分が⽼いて亡くなっていく姿をきちっと⾒せたいと⾔葉で⾔っていました」と⺟・樹⽊希林さんとのやりとりや、晩年の様⼦を語りました。「⺟が亡くなってからようやく気が付きましたが、”死”を⾒つめるからこそ今持っている”⽣”が輝き、尊いものだと分かる。⼀分⼀秒を無駄にできないんだという話だったのかなと。坂本さんも相当な覚悟をもって、表現者として皆さんに、⾃分が必死に⽣きて閉じていく姿を⼈⽣のひとつの通過点として受け取ってもらいたかったのではないでしょうか」と、死を受け⼊れた⼈たちの覚悟について話す内⽥さん。
佐渡プロデューサーも「僕は『Opus』という、NHKのスタジオでピアノのコンサートを収録した時に久しぶりにお会いしました。想像していたよりも元気でいらして、以前と同じようにアグレッシブに演奏していて、以前と同じように収録されていたのでよかったなと、これならもっと⻑く続いていくのではと思っていたのですが、そのあとガクっと悪くなられて。内⽥さんが指摘されていたように、今の姿を周囲の⼈に⾒せるという意識や覚悟はあったのかもしれません」と、本作にも登場する『Opus』収録時のエピソードを明かしました。
樹⽊希林さんを失ったあとに内⽥さんがはじめた対話・エッセイ集である『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』。坂本さんには2021年の1⽉に電話で対談を申し込んだといい、これが最後の会話になったと話します。イベントではその⼀部を紹介、さらに「⼈⽣の⼭を駆け上って、だんだん降りていく。できないこと、諦めていかなきゃいけないことがだんだん増えていく。その変化を坂本さんご⾃⾝が⾯⽩がっている姿も、私たちに⾊々なものを与えてもらえると思いました」と想いを述べました。
続けて「⼈は亡くなっていく時に、⾃分の良⼼を周りにお返ししていくんだなと。特に坂本さんはそういう最後を迎えられていたと思います。⺟も⽣前『⼈は⽣きてきたように亡くなるんだよ』と⾔っていて、当時は『︖』が浮かんでいましたが今は腑に落ちています。周りのみんなにありがとうを伝えて、ご⾃⾝の想いを、東北も、ウクライナも、置き去りにしない。『若い頃から⾊々な⼈を気にかけてきたんですか?』と聞いたら、坂本さんは『⾒てみぬふりができないだけなんだよ』と照れ笑いされていたんです。正直すぎる、稀有な⽅だったなと思います。」と⼼に残っているやりとりを挙げました。
最後には、佐渡プロデューサーから「坂本⿓⼀さんという稀有な存在が最後の3年半をどう⽣きたのかが凝縮されています。坂本さんのような芸術家でなくても、最後の時まで、どのように何を⽣み出して何をみんなに残せるのか、糧になるような作品だと思います。⼀⼈でも多くの⽅にこの作品が届いてほしいですし、死は誰にでも平等に訪れるものですから、それを考えるきっかけになっていただければ」と語り、内⽥さんは「坂本さんはこの世に⾝体としてはいらっしゃらない。それは悲しいことなんですが、坂本さんが残してくれた⾳楽や想いは、確実に残されています。私たちがそれをどう⽣かしていくか、⽼若男⼥みなさんが何かを受け取れると思いました。命の祝福の旅物語だと思いますので、何度でも観てください」とそれぞれが締めくくり、イベントは幕を閉じました。