この度、押井守監督と天野喜孝の対談インタビュー映像が公開!

インタビュー映像では、原案・脚本・監督の押井守と、原案・アートディレクションを務めた天野喜孝が、1985年の制作当時を振り返りながら、『天使のたまご』がいかにして生まれたかを語っている。
冒頭で天野は、当時について「自分の等身大の、興味のあるものが描けるとうのが一番嬉しかった」と、少女や少年、背景、メカニックに至るまで、本人の“描きたいもの”を純度高く描けた稀有な経験だったと語る。一方で制作現場は過酷を極め、机の下で仮眠を取りながら作業を続ける日々だったことも明かす。
天野は、膨大な数のイラストボードを描き上げた日々を振り返り、そのボード群こそが、本作の世界観を形作り、アニメーションスタッフの方向性を決定づけた重要な資料となったと押井は語る。「アートディレクションとはまさにこういうことだ」と称し、天野のイラストボードが作品全体の色彩・空気感・造形の基準となったことを強調する。
インタビューでは、故・保田道世氏による髪の毛の“トレセン”(線の強弱や流れを繊細に描く技術)に言及する場面も。「あの線は保田さんがいなければ実現できなかった」と押井が語るように、本作は各パートが“意地と根性と執念”で支え合った手作業の結晶だったことが伝わる。
過酷さの一方で、押井は「新しいことに挑戦している」という実感があったと振り返り、天野も「自分の好きな絵がそのまま映像になる喜び」を語る。当時のラッシュ(仮編集映像)を見た瞬間に疲れが吹き飛び、「二度とやりたくないと思ったけれど、でも楽しかった」と笑う姿が印象的だ。
最後に押井は、『天使のたまご』を“非常に不憫な娘”のように思っていたと明かす。丹精込めて育てながらも、発表当時は十分に届けられなかったという悔しさがあった。しかし、40年の時を経て再び、4Kリマスターとして新たに“お化粧”をして世の中に送り出せることに、深い喜びを語っている。40年経っても色褪せない本作の普遍性、そして観るたびに新しい表情を見せる映像体験が垣間見える、貴重なインタビュー映像となっている。
インタビュー映像はこちら https://youtu.be/3l7o-Bq8fVk