60代後半で鮮烈なデビューを果たして以来、世界中で演奏活動を続け、90歳を超えてもなお自分の音楽を追い求め続けた孤高の天才ピアニスト、フジコ・ヘミング。10月18日から新宿ピカデリー他全国公開される『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』は、2018年に異例のロングランヒットを記録した映画『フジコ・ヘミングの時間』以降の4年間を追ったドキュメンタリー映画である。
今作を監督した小松莊一良監督に作品について、フジコ・ヘミングについて語ってもらった。
パリのコンサートが再開できるまでの4年間
─ フジコさんを撮影しようと思ったきっかけを教えてください
フジコさんが注目された1999年のテレビ番組を偶然観ていて、彼女のことは知っていました。その後、2013年にある番組のミニドキュメンタリーの題材としてフジコさんに出会い、相性が良かったのか仲良くなったんです。
番組的には “長年苦労して、ようやく見出された女性” というある種のひな形にあてはめる描き方を求められたのですが、その当時にはもうパリに家もあって、世界中飛び回って充実した生活を送っていましたから、その時に描いた内容は本人が望む姿ではなかったんですね。それでいつか、僕が感じたことをそのまま描ける機会があれば、ありのままのチャーミングなフジコさんを伝えたい、という思いがありました。
それから年に何度か日本に来たときにお茶をしていたのですが、「海外ツアーで今度は南米に行くのよ」とお話されていて。ずっと暮らしていたヨーロッパだったら人気があるのはわかるのですが、なぜか南米で人気になっている。なぜ南米なのか、それを見に行きたいなということで、自主制作で、夫婦2人だけで機材を全部持ってフジコさんに付いていったのが前作の『フジコ・ヘミングの時間』の成り立ちです。
─ 自主制作だった作品が、劇場で公開されることに?
そうですね。最初の北米南米ツアーは夫婦2人だけで回り、それを題材にして資金集めをして、ヨーロッパに行くなど2年にわたる撮影を大きくしていきました。日活さんが乗ってくれて、劇場映画として公開することになりました。
─ 前作に引き続き監督をするにあたって、意識されたことはありますか?
今回、当初の企画としてはドキュメンタリーを撮るつもりではなかったんですよ。別のドキュメンタリーを撮る予定があり、ドキュメンタリーが続くのが少し辛かったので。
フジコさんの方から「ドイツのマンハイムのお城でコンサートをやるから、それを撮らない?」と誘われて、フジコさんの海外のコンサートをまだハイスペックで撮ったことはなかったので、それはいいですねと。高音質・高画質のライブフィルムとして劇場公開するようなものを作ろう、というのが始まりでした。ただ、マンハイムの撮影許可がおりなかったので、フジコさんの好きなパリで、僕たちで主催をして、パリの公演に向かうまでのドキュメンタリーを撮ろうということになり、2019年から準備を始めて、2020年の2月にサンタモニカでクランクインをしました。
翌月の3月29日にパリのコンサートを撮影してクランクアップし完成する予定だったんですが、世界がコロナ禍に見舞われて、コンサートが延期に。撮影も一旦休止になりました。先の見えない状況の中で、情熱を失わず何が出来るのか、コロナ禍での生活を撮影する中で、フジコさんとの会話を続け、無観客ライブをやったり、戦時中に疎開した岡山を訪ねていったりと、パリのコンサートが再開できるまでの4年間を記録しました。
─ 当初想定していたより、かなり長い撮影期間になったのですね
そうですね。結果的にものすごく濃いドキュメンタリーになりました。音楽をテーマにして、コンサートシーンも前作よりもたくさんのカメラを使用しダイナミックに制作してあるのと、戦争やコロナ禍といった困難な時代でも、自分らしさを貫くフジコさんの内面にも迫っているので、今となっては彼女の考えやこだわりをより深く理解できる映画になったと思います。