「家族」が一番面白い

─ これまでの作品でも震災について触れられていますが、今作のメインの舞台は宮城県多賀城市でした。そのあたりはいかがですか?

やっぱりあの震災の経験ってすごく大きくて、いつか表現しなきゃいけないなとずっと思っていました。『浅田家!』が、震災から9年後かな。やっと自分なりの震災っていうのを描けた。

今作で兄ちゃんが突然引っ越した先の多賀城市という町も、震災で大きな被害を受けた場所。なぜ兄ちゃんが多賀城に行ったのか、明確にはわからないんですよ。でも村井さんが「震災の復興の仕事があったから行ったのでは」とはおっしゃっていたんです。そこから僕は、兄ちゃんは新しい場所で、町と一緒に復活したかったんじゃないかな、と。多賀城は震災があった町で今はちゃんと復興しているけど、結局、兄ちゃんは復活できなかった、という表現にしました。本当に兄ちゃんが一緒に復活しようと思っていたのかは分からない、分からないけれど、僕の中ではそうなんじゃないかなと思っています。

(C)2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

─ 監督の作品には優しさとユーモアを感じますが、そのあたりは意識されていますか?

人間をどう描くかがドラマだと思いますが、じゃあどっち側から見るかって話で。今回の話だって、僕と反対側から見た人はもっと悲しい話になるかもしれない。でも僕は人間ってやっぱり憎たらしいけど愛おしいし、一生懸命になれば滑稽だし。そういう側から人間を見る作家でありたいなって思っているだけです。

題材は毎回辛いものばかりなんです。今回だって兄が死んでしまっているけれど、それをどっち側から見るのか、というのは意識しています。僕がやるんだったら、僕が今感じた方向から人間というものを見つめて描ければいいなって。やっぱり、見てちょっと前向きになる映画の方が僕は好き、ということだと思います。

(C)2025 「兄を持ち運べるサイズに」製作委員会

─ 監督が家族を題材に撮り続けているのはなぜですか?

家族が一番興味があって面白いんですよね。簡単に言うと、家族の喪失の中で残された人はどう生きるか、ということばっかりやっているんです。毎回いろんな家族を描いていますが、家族によって「家族とは」の捉え方が違うんですよ。家族とはこうです、って定義なんて僕は全く分かりません。分からないけれど、今回は、村井さんの家にとっての家族って何だろうと一生懸命考えて作ったし、『浅田家!』のときは浅田家にとっての家族って何だろうと毎回考えてやっているだけ。だから家族って何度でも描けるんですよね。答えが出ないから。だから次の面白い家族に出会えたら、また家族の作品をやるだろうなと思います。

─ 原作「兄の終い」からタイトルを変更したのは?

映画化すると決まった段階から、「兄の終い」は映画のタイトルとしてはちょっと硬すぎるなとは思っていました。原作で村井さんが「兄を持ち運べるサイズにしてしまおう」と書かれていますが、言い方を変えれば、火葬して早く骨にしてしまおうってことですよね。それを村井さんなりの言葉にすると「兄を持ち運べるサイズに」。とってもいい村井さんの言葉だなと感じたのと、村井さんの言葉であれば、タイトルを変えても怒られないんじゃないかなと思って(笑)。

あとは、キャッチーで「このタイトルって何だろう?」ってなるじゃないですか。『チチを撮りに』もそうですが、見たら「あっ、そういう意味か」って分かるタイトルが僕は大好きなんです。それで、村井さんにこれどうですかって提案したら、いいねと言ってくださったという経緯ですね。

─ 最後に記事を読んでいる方にメッセージをお願いします

本当に、明日の自分の話だと思っているんです。けっして遠い話ではなくて、皆さんと近い話、自分もそうなるかもしれない話を描いていると思います。題材としてはなんとなく暗いように思えるけれど、笑って、笑って、ときどき泣いて。そういう映画になっているので、明るい気持ちでみんなで見に来てくれたら嬉しいです。

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